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抗えない愛欲

抗えない愛欲

  ―御し難いエネルギー―


以下はブロガー闇を切る心理学者さんからお借りしました。

 理性の皮をかぶり、
 感情が詰まった中身、
 その奥には恐怖と怒りが隠され、
 最深部には盲目的な生存欲求がある。

 人間の正体をそう見抜いた天才的精神分析者、彼の名は2,500年前にネパールに生まれた覚者ガウタマ・シッダールタである。

 人間の最大の行動動機は、決して理性や愛情などではなく、最強の力を持っているのは盲目的な生存欲求であって、その衝動は抗い難い。

 生きたいと人間は誰でも思う。けれども自分が生きるために他人を殺しても良いと考えたなら?

 食べたいと人間は願う。けれども、もしも、自分が食べるために他人から奪って良いと思ったら?

 性欲を満たしたいと誰もが思う。けれども、相手の意思を無視して自らの欲望の充足だけを願ったら?

 他人を傷つける事無く自らの欲求を求める事には何の問題もないけれども、他人を不幸にしても構わないと思った瞬間に、人間は罪を犯す事になる。

 もしも理性が、他者への共感や同情、憐れみや情けといった尊い思いを目的として人間に客観的な判断を与え、良心と一緒になって機能することが出来たなら、人間の全ての衝動も理性と良心とに管理され統制され、適切に用いられる事になる。

 怒りが不正や残酷行為を阻止するために用いられたなら、それは強烈なエネルギーとして機能する事になる。
 怒りには怒りの価値があって、理由も無く怒りがこみ上げる事はない。
 怒りを制御せずに爆発させると、自他共に不幸を来すけれども、怒りそのものは単なるエネルギーであるに過ぎず、邪悪な物では決してない。

 欲望が正しく用いられたなら、それは自他共に前に進ませる力になり、生きるエネルギーとして機能できるだろう。

 欲望を敵視して過度に抑圧するのも、欲望をほしいままにして放埓に生きるのも、どちらも両極端である。

 人の怒りは、果たして正しく用いられているだろうか?
 
 人の恐怖は、果たして正しく理解されているだろうか?

 人の愛欲は、果たして正しく統制されているだろうか?


 それが可能になった時、人々を不幸にする盲目的な衝動や情動が、人々の幸せをもたらす力になるだろう。

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あじさい
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