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路傍の花。

路傍の花。

路傍の花はきれいですね。

なばなの里など、
集客目的で大量の花を植えている場所もありますが、
近寄って見て見ると、
枯れかけだったりひどい環境で、
花が可哀想になる事がままあります。

逆に小さなご自宅でも、
非常に花を大切にしておられる事が見えると、

「花や命を大切にする方なんだな」と、
内心感心致します。

古来、そうした方を、
Green Fingersと呼びました。
そうした方が作る花や作物は、
そうでない人よりはるかに綺麗に咲き、
良質な収穫をもたらします。

花も人も動物も、
全ての生きとし生ける物を愛した詩人であり科学者、
宮沢賢治先生に至っては、
真冬の2月に、
90cmも土が凍りつく東北で、
桜の苗を植え付け、
見事にその苗を生かす事に成功しています!

(ここまで来ると普通じゃない……)

動物に愛される人もおられ、
そうした方が飼うと、
ペットが健康で長生きします。

残酷な人々と暮らす人々、
独裁者に搾取される不幸な人々、
貧しさにあえぐ人々よりも、
優しい飼い主に飼われているペットの方が、
はるかに幸せなのではないだろうか?

そういう私の思いは、
果たしてただの思い込みなのでしょうか?

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心から心へ。

あなたが好きだと伝えようにも、
私の心は伝わらない。

あなたの幸せ祈っても、
私の思いは通じない。

言葉と心は同じではなく、
思いは言葉で語れない。

心の内を描くには、
言葉はあまりに物足りない。


夢、夢、夢……

起きて夢想する夢があり、
夜に寝て見る夢もある。

夢想は私の心の中で、
とりとめもなく飛び巡るだけ。

夜見る夢は暗い灰色で、
日常の総和が投影されている。

夢想は心が限界で、
夜見る夢も同じ事。

現実世界は色とりどり。
けれども多くの夢は実らない。

自分は夢の創造主、
けれども夢すら自由にならぬ。

寂しい孤独な人々は、
夢でも孤独な夢を見る。

生きるのに疲れた人々は、
悪夢にうなされさらに疲れる。

自分が夢の作り手なのに、
その夢が人を苦しめるとは!

ままにならぬはこの世の習い、
現実は夢を打ち砕く。

夢は現実の投影だから、
夢すら夢を叶えない。

「願えば叶う」と誰かが言った。
けれども夢すら自由にならない。

どんなに妄想に浸っても、
学ばぬ事物や言語はわかるまい。

夢、希望、理想。
そう言えばいかにも聞こえがいい。

けれども欲望、野望、野心と言えば、
同じ事でもずいぶん違う。

確かに願いは人類と、
個人を前進させる原動力だ。

けれどもあまりに欲に固執するなら、
最後には憎悪や戦争になる。

「願えば叶う」と人は言う。
けれどもその人は知らないのだ。

「叶わない方が良い願い」の存在を。
「欲を離れる幸せ」を。

本当に夢を叶えたければ、
地道に努力し学ぶこと。

それでも叶わぬかも知れない。
その時には静かに手放そう……

夜の夢に安らぎを求めるなら、
現実を安らかにするしかない。

静かに日々が流れれば、
やがて夢の世界も穏やかになる。


寂しい夜に。

雨がしとしと降る夜は、
寒さが染みる冬の夜は、
誰でも少しは寂しくなる。

絶望に打ちひしがれた日に、
生きるのに耐えられなくなった時、
人は誰でもくずおれる。

何年闇が続くのか?
どれだけ耐えれば終わるのか?
叫んでも誰も答えない。

こうして人は運命を恨み、
やがては我が身とこの世を嫌い、
神仏を憎み呪うのだ。

(神があなたを不幸したのか?
 仏があなたを惨めにしたのか?)

幼い頃の不幸な日々、
泣き叫んでも顧みられず、
愛されなかった惨めな時代。

悲しい事に子供は無力で、
悲哀と怒りが記憶に刻まれ、
長じて何度も反復する。

子供達にも個性があり、
冷静で落ち着いた子も居れば、
繊細で傷付きやすい子供も居る。

環境も千差万別で、
残酷な虐待者も居る代わりに、
子煩悩で安定した両親もいる。

たとえ愛情深い両親でも、
早世すればその子は不幸に孤独になり、
悲しい大人になる事がある。

たとえ残酷な両親でも、
優しい祖父母や伯父伯母が、
手を差し伸べれば傷付きにくい。

生まれながらの性格と、
生まれついての環境が、
総和となって人を形成する。

人間を本当に不幸にするのは、
幼い頃の虐待と、
自分自身の性格だ。




たとえ自分の心でも、
自分の味方とは限らない。

過度の欲望はその人を、
死ぬまで引きずり翻弄する。

過度の敵意は人間を、
被害妄想の狂気に追い立てる。

食欲を適度に管理できなければ、
過食と拒食で惨めになろう。

性欲のままに生きたなら、
獣たちとおんなじだ。

金銭欲のまま金を貯めても、
死ぬ時には全てがゼロになる。

権力欲に駆られたら、
最後は全てを失うのだ。

人間を最も不幸にするのは、
統制されない心である。


瞑想

多忙な日々の余暇を見つけて、
自由に心を羽ばたかす。
それは束の間の安らぎだ。

目を閉じて一番好きな場所を考え、
心のままに思いのままに、
思考が赴くままに任せよう。

憎しみも怒りも、
悲しみも孤独も、
絶望さえも人には必要な物。

それなくして生きる事はできないが、
過度に積み重なれば心身の、
歪みと病を来すのだ。

静かな一人の時空間で、
溜まりに溜まった思いを放ち、
抑圧された感情を浄化しよう。

悲しみをちゃんと悲しんで、
怒りをちゃんと吐き出して、
絶望の苦さに悶絶しよう。

それこそが生きる意味だから。

必要なだけ苦しみを感じたら、
確かに人は疲れるが、
その後には安らぎが訪れる。

けれども自分の感情に、
過度に溺れては危険である。
一歩間違えば発狂する。

10分程度に時間を決めて、
自分の思いを文章にして、
時間が来たら切り上げる。

そうすれば危険な事にはなりにくい。

終わったならば日常の、
仕事を静かに始めれば、
ちゃんと現実に戻れよう。

けれどももしもあなた自身が、
虐待やトラウマに悩むなら、
瞑想は致命的になる。

そんな時には決して瞑想せずに、
心療科か精神科医に、
自分の悩みを打ち明けよう。

あなたが崩壊しないために。

瞑想は心の悩みを軽減できる、
極めて優れた手法だが、
素人には危険を伴うのだ。

新興宗教の瞑想は危険であり、
禅宗の座禅も発狂する危険があり、
自律訓練法でさえ副作用がある。

効果のある薬剤は副作用を伴い、
効果の弱い薬剤は副作用も弱い。
間違った処方は死を招く。

もし、あなたが苦難の中に居るなら、
絶望の日々を送っているのなら、
最初にすべきことは決して瞑想ではない。

仕事の悩みなら学ぶ事。
対人関係の悩みなら接遇を学べばよい。
進学の悩みなら教師に相談すればよい。

まず、現実の問題の対策を立て、
実際にその対策を実践し、
功を奏したか評価する。

この世の現実を生きる以上、
夢や瞑想に逃げ込む前に、
現実に向き合う事が最も大切だ。

しゃか
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コメント

こんにちは~♪

始めまして^^

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どうでもいいようなたわいもないブログですが、これからもどうぞよろしくお願いいたします。

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