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伯父は志願して19歳で死んだ。

伯父は志願して19歳で死んだ。

私の伯父は海軍に憧れ、
剣道と水泳に力を入れていた。
戦争が末期に近付いた頃、
彼は操舵手を志した。

家族は全員反対したが、
「僕ら若者達が家族を守らなければ。
 外国の侵略を防いで戦わなければ」
親孝行で家族思いな若者は自ら志願した。

(操舵手とは軍艦の運転手を言う)

努力家だった彼は、
中学卒でしかなかったが、
士官学校で猛勉強をした。
彼以外は全員工学系の大学生だった。

「おい、君はいつ寝るんだ?」
級友たちにそう言われながら、
伯父は必死で勉強し、
300倍の倍率を突破して合格した。

(頭が良い事が、努力家である事が、
 祝福ではなく呪いである事はざらにある……)

こうして彼は士官候補生となり、
憧れの海軍に入隊した。
「自分で志願しなくてもいずれ徴兵されるのに……」
両親はそう嘆いていた。

「徴兵されれば殴られ蹴られ、
 犬畜生のように扱われる。
 けれども士官となったなら、
 指揮する側に居られるだろう。」

若かったがしっかり者だった伯父は伯父なりに、
同じく戦場に向かうなら、
管理職の側になりたいと考えた。
それが正しかったのか間違いだったのか?

(親は我が子の幸いを願うけれども、
 それなら戦争のない世界を求めるべきである)

ところが実際に入隊してみると、
そこは情実とコネが支配する、
旧態依然とした最低の場所だった。
実力よりもコネが優先された。

上官の親類は優遇され、
そうでない者は奴隷扱い。
伯父は綺麗ごとの政府の嘘を、
ここに到ってようやく知ったのだ。

(こんなはずじゃなかった……)

理想に燃える若者達は、
汚らわしい大人の社会、
腐敗し切った軍部や政治の世界を知ると、
等しく夢を打ち砕かれる。

殺人を正義だとする戦争が、
まともな倫理や人道主義を、
もたらすはずもなかったのだ。
あるのは暴力と残忍と理不尽だけ……

こうして国と家族を守ろうとした、
哀れな失意の若者は、
惨めな日々を送るうち、
とうとうチフスに感染した。

(風邪もひかない丈夫な子だったのに)

高熱とひどい下痢に苦しみながら、
若者はどんどんやせ衰えたが、
幸いにも日本は戦争に負け、
ようやく地獄の日々が終わった。

(敗戦は日本の国民と、
 日本の敵だった国民の命を同時に救った。
 震え上がったのは戦争犯罪人だけ)

骨と皮とになりながら、けなげな若者はたった一人で、
懐かしい故郷に帰って来た。
ともすれば倒れそうになりながら、
無理して歩いて帰郷した。

変わり果てた我が子を見て両親は愕然とした。
「もう村が近くなって人通りも多いから、
 もうぶっ倒れようかなと何度も思ったけれど、
 最後まで歩いてきたよ」誇らしげに若者はそう言った。

それから若者は床に就き、
わずかに身を起こす事ができるだけ。
近所の人々は口を押えて家の前を走った。
「この家の息子はチフスだ! うつされるぞ!」と叫びながら。

(傷病兵や被爆者、戦争で病気になった人々は、
 国民達に氷のように冷たくあしらわれた。
 同じ日本の国民に。
 こんな連中が諸外国に、
 どれほど残酷だったかは推して知るべしだ)

若者の肌は重度の脱水で、
ミイラのように干からびた。
そしてある日、母は見た。
縁側で座る我が子の奇妙な姿を。

若者は虚空をじっと見つめて、
右手で何かを掴む仕草をしては、
何もない手の中を眺めては、
また同じ事を繰り返す。

「どうしたの? 何か居るの?」
母親が不審に思って尋ねた。
「うん……捕まえようとしてるんだけど、
 捕まらないんだ。」

(母親はぞっとした)

(脳が障害され意識が低下し始めると、
 やがて譫妄状態になり、
 時には幻覚を見る事がある……)

やがて哀れな若者は、
割れるような頭痛を訴えた。
「お母さん、頭が割れる!
 頭を抱きかかえて!」

勇敢で我慢強い若者が、
死ぬ程の痛みで絶叫し、
母親は泣きながら我が子の頭を、
膝の上に抱えてやった。

(高熱と頭痛と嘔吐とは、
 髄膜炎の症状だ)

その内に痛みは軽快し始め、
若者はうとうとほとんど寝て過ごした。
家族は少しほっとした。
ある夜、母親は夢を見た。

墨染めの僧侶の出で立ちで、
優しい顔の地蔵菩薩が、
若者の身体を抱きかかえ、
そっと風呂で洗ってやっていた。

目覚めて母親は胸の迫る思いで、
誰にも言わずに考えた。
(ああ、もうお地蔵様のお迎えが来た。
 この子はもう長くない……)

死んでゆく我が子が、
せめて天国の幸いと、
神仏の祝福を得られるようにとの、
それは母親の心の願いの映像化だったのか?

それとも哀れな親子を憐れんだ、
神仏の使いが見せた夢だったのか?

それから数日たたない内に、
若者はこんこんと眠りながら、
静かに息を引き取った。
享年わずか19歳……

父母も残された妹達も、
声を上げて泣いた。

Buddha-Weekly-Tsitigarbha-as-monk-on-Kulung-Buddhism[1]


地蔵菩薩(クシティ・ガルバ)の願い

人生の地獄に泣き叫ぶ悲しい人々を、
どんな事をしてでも救ってやろうと、
いかなる遠い地の果てでも、
真っ暗な闇の奥底までも訪ねて止まぬ。

その清らかな青蓮の瞳をもって、
全ての苦悩と悲哀を見抜き、
全ての絶望の原因を知り、
沈黙と静寂の力をもって、
救いの手を差し伸べる神の化身。

その慈悲は無限の闇を照らし出し、
無明の闇を追い払い、
穢れのない子供たちの心に寄り添い、
閻魔の意志と力をもって、
全ての悪を焼き払う。

心の醜い人々よ、
他者の不幸を笑う者どもよ、
決して逃れられない地獄の刑罰と、
抗い得ないカルマの報いを恐れるがよい。

心の清い人々よ、
善良に生きる人々よ、
気高い菩薩の慈悲を求めよ。
きっと救って頂けるから。

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母の愛、そして神の愛……






宴はたけなわ、今宵は初夏。
客人たちは飲んで騒いで、
どいつも言いたい放題だ。

きれいな娘に言い寄る男、
心の中では惹かれているが、
黙って飲んでいる男……

意気投合した男女もいれば、
あぶれて寂しい奴もいる。
けれども誰も気にしない。

やがてすっかり夜も更けて、
下弦の月が昇ってくる。
白銀の光を投げかけて。

酔ってやたらに絡む奴、
そうかと思えば笑う奴。
会場は色とりどりの想いの展覧会。

……やがてぽつりぽつりと帰る人。
未練がましく酒を飲む者、
終電を気にする中年男。

そして主催者が終わりを告げて、
全員ようやく帰路に就く。
宴はこれでもう終わり。

名前も知らない人々が、
悲喜こもごもの人生送る。
この世は束の間の宴。

飲めや歌えや語れや笑え!
怒って泣いて絶望し、
狂喜乱舞し楽しもう。
それが生きるということだから。

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死に様――人間は老いには勝てない。

生物としての死については、
かなりの部分で一般化する事が可能です。

人間は事故や若年での自殺を除けば、
病と老いで死にます。

若くても遺伝や環境や食事やストレスで、
ガンその他で死ぬ人がいます。

けれどもいかなる人でも、
いずれ老化して、
細胞も遺伝子も傷付き衰え、
老化による臓器の機能障害やガンで死にます。
この場合のガンはやはり老化によるDNA損傷によりますから、
最終的には老化によって死ぬことになります。

厄介な事に、
どの臓器から衰えるかは、
適度な運動や節制によってある程度修正できはしますが、
最終的には誰もそれを選べません。

全く運動もせず人付き合いもなく、
食生活も生活習慣もメチャクチャな場合、
確実に足腰や筋肉、脳が早く衰えます。

けれどもどんな努力をしても、
ある人は脳が先に衰えて、
脳梗塞や麻痺や認知症を発症し、
まだ動き回れる場合、
家族に暴力を振るったり徘徊や暴言によって、
地獄の苦しみを与えますし、
本人もその分は惨めになります。

逆に脳より内臓が先に衰えた場合、
肝不全や腎不全や呼吸機能不全、
消化器機能不全などで死に、
意識は最後まではっきりしています。

運動器である足腰が衰えた場合、
寝た切りの人生が待っており、
家族も本人も極めて惨めになり、
脳も急激に衰えて認知症が加速します。
ただ意識がはっきりしている間は、
本人にも地獄ですね。

脳がダメになって認知症になって死ぬか、
臓器がダメになって意識ははっきりしたまま死ぬか、
寝た切りになって死ぬか。

だいたいこの3つの死に方に落ち着きます。

もっとも最後は意識がなくなり苦痛も消えて死にますがね。

政府は在宅医療を推進して、
家族に病人や高齢者を押し付けていますから、
介護してくれる家族のいる方は、
死ぬまでは自宅で過ごす事になり、
家族は死ぬ程の負担を受け、
時には家族が病気になったり自殺します。

我が子や孫が居たとしても、
施設や病院に預けっぱなしで、
死んでから手続きに来るだけ、
そんなケースも非常に多いですし、
ガンなどになっても治療費も家族が出さない、
そういう事も珍しくもないのです。

一方、男性30%、女性十数%は生涯独身ですから、
この方達は施設か病院で死ぬ事になります。
お金が潤沢であればまずまずの施設、
そうでないなら虐待があるような施設になります。

従って自分の死を考える場合、
認知症が嫌なら食生活を節制して、
適度な運動で体力を維持する事がまず第一です。
健康寿命を延ばす事ですね。

認知症になっても良いなら、
好きに生きられますが、
自分も周囲も不幸になるでしょう。

いずれにせよ加齢によって、
誰でも知力や仕事能力や運動能力が、
全般的に低下していきます。
それは悲しいですが避けられない喪失過程です。

ある人は認知症の兆しが出た段階で自死を選びます。
ある人は寝たきりになる前に自死します。
ある人はガンなどの痛みに耐えかねて自死します。
ある人は病気や寝たきりに耐えかねて自死します。

自死する事もできない人は悲劇ですね。

理想的には全身の臓器が徐々に衰えて、
歩く事が困難になった段階で、
肺炎などになって、
まだ自分の意志表示が出来る段階で死ぬ、
それが本当の意味の老衰だと思いますが、
高齢者の場合、ガンであれ他の病気であれ、
ほとんどは老化が原因ですから、
結局は老衰で死ぬのであり、
生物としては自然な過程です。

なお、野生動物の場合、
動けず自分で食べ物を確保できなくなると、
他の動物に食い殺されるか、
そうでないなら3日ももたずに死にます。

実は人間も飲めなくなると、
点滴なしなら約7日で死にます。

悲惨な事に、
なまじ医療が発達したため、
動物なら3日で苦しみが終わるのに、
人間は何年も何十年も、
老いと病気の苦しみが続くのです。

だからと言って「高齢者は殺せ」
「認知症は殺せ」とはなりません。

90歳過ぎでも100歳でも、
「まだ生きたい」と思う方なら、
生かしてあげるべきだからです。

ただ、どれだけ長生きしてもせいぜい100年で、
どんな人でも死にますから、
所詮は死に様などは、
無意味な議論です。

誰もが例外なく死ぬのですから。

どんな終わりにするのかは、
最後は自分次第です。

ただ、それを叶えるためには、
少数意見を踏みにじるような一般化や多数決ではなく、
一人一人の意見をくみ上げる形での、
しっかりした議論と、
きちんとした法整備が必須です。

日本では恐らく、
100年経っても、
そんな議論や法整備はできないでしょう。

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咲いた花はどれもやがて散り、
果実となって子孫を残す。

花だけ咲いて散れと言うのは、
自然の摂理に反している。

戦争するな人々よ、
平和を守れ大人達。

老い衰えて死ぬのは道理、
若者達を死なせるな。

もしもあなたや子や孫を、
不幸にしたくないのなら……

たとえ老い衰えて死んだとしても、
決してそれで終わりじゃない。

やがて人間は転生し、
再び命の花が咲く。

一度は散った草木の花が、
我が世の春と咲くように。



死んだ赤ん坊。

何年にもわたる不妊治療の末に、
ようやく妊娠した夫婦がいた。

ところが経過が思わしくなく、
もう少しの所で胎児が死んだ。

母親は泣き悲しんだ。
父親も悲しんだ。

けれども母の悲しみの重さと、
父のそれとは違っている。

母親は悲しみを引きずり続けたが、
父親はやがて忘れてしまった。

妻は夫の冷淡さに耐えられず、
毎日2人は喧嘩するようになった。

こうして2年も経たない内に、
2人はとうとう離婚した。

死んだ赤ん坊は天国で、
一人涙を流していた。

それは自分のためではなく、
愛する父母のためだった。

けれども自分の悲しみだけに、
囚われてしまった母には通じない。

自分の事で一杯の父にも、
赤ん坊の悲しみは届かない。

もしも我が子が大切ならば、
いつまでも悲しみに浸っていてはいけない。

もしも親だと言うのなら、
我が子の涙を拭ってやらなければ。

もしも我が子が大切ならば、
涙を拭って立ち上がれ……

まりあ


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